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2010年07月24日

那須高原で熱気球

今、那須高原に来ています。

「ホテル エピナール那須」さんで、9月の17日まで、朝は7時から9時。夜は18時から20時まで、熱気球体験搭乗を実施しています。

9月の4、5日を除き、毎日実施。

このイベントを、7月12日から行っているので、すでに体は日焼けで真っ黒。

連日の猛暑のため、体力的にもきつい毎日ですが、去年、体を壊してから飲み始めた「青汁」で、この夏を乗り切ろうと思います。


     熱気球 那須
  


Posted by 中島出身 at 21:15Comments(0)熱気球 那須

2009年03月01日

熱気球の歴史について 3

日本においての気球の利用は、軍事面での利用から始まりました。

明治10年の西南の役の際です。

政府軍が、西郷軍に囲まれて孤立した熊本城と、連絡を取ろうとしたようです。

海軍が気球の製作の依頼を受けて、気球の製作がスタートしました。

何度かの実験の後、明治天皇隣席のもと、2個のガス気球を製作しての実験が行われましたが、一つは破裂し、もう一つは、綱が切れて、飛んでいったといわれていて、失敗したようです。

その後に、完成しますが、飛行予定の前日に、熊本城が解放されたため、実践での投入は、おあずけとなりました。

その翌年に、士官学校での開校式で、見事に離陸し、公式での初飛行を成功させました。


小学校で熱気球体験教室  


Posted by 中島出身 at 04:01Comments(0)熱気球知識

2008年11月13日

宿泊

熱気球イベントでは、様々なところへ、行きます。

北海道から鹿児島まで・・・全国をまわります。

宿泊で利用するのは、ビジネスホテル・カプセルホテル・民宿・旅館・などが多いですね。

移動が続いて、どこにも泊まる時間が無い時は、車の中で2時間くらい仮眠・・・ということもあります。

過去には、東京での仕事の後、翌日に朝から広島で仕事が入った・・・ことがあったのですが、その時は、とにかく高速を走り通しで、何とか仕事の時間に間に合いました。

ホテルに泊まる時間はないが、少し中途半端に時間が空いたときは、漫画喫茶を利用したりもします。

とりあえず、シャワーを浴びて、ソファーに横になって・・・それだけでも、少し体が休まります。

いつも、仕事はきついですが、その分家に帰って家族の顔を見ると、ほっとします。


小学校で熱気球体験教室  


Posted by 中島出身 at 16:28Comments(0)熱気球一般

2008年09月20日

熱気球イベント

熱気球というと、大空を自由に飛ぶ「フリーフライト」を皆さん思い浮かべると思いますが、熱気球イベントでは、「係留」と呼ばれる方法が用いられます。

係留とは、地上に重しとなる車を4台ほど配置して、その車と熱気球のゴンドラをロープで繋いで、約20メートルくらいの高さを上がったり下がったりするというもの。

何故、この方法かというと、まず、フリーフライトだと、1日1組。
なので、その1組のお客様も、相当な金額を、全て負担する事になります。

また、市街地・民家が密集しているところでは、着陸する場所もないし、許可をとるのも大変です。

この、係留という方法では、強風などの影響が無く、中断がなければ、1日に何百人もの人を乗せる事が出来るし、1人あたり、2000円くらいの安い金額で、搭乗してもらうことが可能になります。

「何だ、20メートルくらいか」という人・・・結構いますが(笑)それは大きな間違い。

実際には、足ががくがく震えて、固まる年配の男性が多いですね。
ただ、怖いのを隠して、虚勢を張っている場合が、ほとんどです。

女性の方が、平気な人が多いように思えます。

こればかりは、体験してもらわなければ、分かってもらえませんが、これくらいの高さが、リアルに恐怖を感じる高さだと思います。


私も、何度も乗っていますが、それでもたまに、凄く怖くなることがあります。

下で見る高さと、上から見る高さは、まるで違うんですよねicon

だからこそ、搭乗してもらうと、皆さんに、喜んでもらえるのだと思います。


小学校で熱気球体験教室
  
タグ :熱気球


Posted by 中島出身 at 06:01Comments(0)熱気球一般

2008年09月12日

熱気球と原油価格高騰

熱気球のイベントの場合、機材を搬送するのに、車での移動になります。

全国どこに行くにもです。
なので、近頃のガソリン代の上昇が、落ち着いてきたのには、少し安心しました。

インフレーターという、球皮(上の風船の部分)の中に空気を入れる、大きな扇風機のようなものが有るのですが、これも、燃料はガソリンです。

熱気球の燃料は、プロパンガスですが、これも、その影響で少しずつ値上がりしていたのですが、歯止めがかかりそうで、一安心です。

熱気球は、とにかくお金がかかります。

保険代・倉庫代などと並び、上記の部分は、経費削減とはいかない部分なので、影響が直接出てきます。

一時期は、1リットル200円を越えるとか言われていましたから、びくびくしていましたね。

ほっとしました。


小学校で熱気球体験教室
  


Posted by 中島出身 at 01:20Comments(0)熱気球一般

2008年08月27日

熱気球の歴史について 2

モンゴルフィエ兄弟が、熱気球の開発をしていたころ、物理学者のジャック・AC・シャルル教授と、技師のロベール兄弟は、ガス気球の開発に取り組んでいました。

1783年8月27日パリのシャン・ド・マルス広場から、無人水素気球を飛行させることに成功しました。

その後、9月19日、今度はモンゴルフィエ兄弟が、パリのアカデミーに招かれて、国王ルイ16世の臨席のもと、羊とアヒルと雄鶏を乗せた気球を離陸させて、成功させました。

そして、人類初飛行の栄冠を勝ち取ったのは、モンゴルフィエ兄弟でした。

1783年11月21日、パイロットには、ピアトル・デ・ロジェとアルキ・ダランデがなり、飛行時間25分、飛行距離キロメートルを記録しました。

その後、同年12月1日にガス気球も有人飛行に成功しました。
パイロットは、シャルル自身がなり、飛行時間2時間・飛行l距離43キロメートルを記録。

この成功から、人類の空の歴史が始まることとなります。


小学校で熱気球体験教室  


Posted by 中島出身 at 01:26Comments(0)熱気球知識

2008年07月20日

熱気球の歴史について

熱気球の歴史は、1783年に始まります。

そしてそれは、人類の空の歴史のスタートにもなりました。

フランスの製紙業者であった、ジョセフ・M・モンゴルフィエと、弟のジャック・E・モンゴルフィエの、モンゴルフィエ兄弟が、熱気球による人類初飛行を成功させました。

彼らは、人類初のと鳥人間をめざす、村の科学者でした。

1783年、6月5日。

フランスのアノネイで、公開実験が行われました。

気球の開口部では、煙を効果的に出すために、湿ったワラを燃やしました。

本当は、煙ではなく、煙の「熱」が飛ぶために必要な物なのですが、当時は、「煙そのもの」に、空を飛ばすために必要なものがあると思われていたのかもしれません。

続きは次回。


小学校で熱気球体験教室  


Posted by 中島出身 at 04:01Comments(0)熱気球知識

2008年07月08日

アニメーション時代

鶴崎工業を卒業して、代々木アニメーション学院に、入学するために、上京。

東京では、風呂無し・トイレ共同の四畳半のアパートで暮らしながら、学校に通っていました。

実家では、何もかもが、有るのが当たり前、やってもらうのが当たり前の状態だったので、最初は、その環境に慣れるまでに時間がかかりました。

お金が無くて、銭湯にも毎日いけなかったし、洗濯は、家から離れたコインランドリーで。

食べる物も、腹一杯食べることが出来ない毎日。
最初は、ホームシックになったこともあり、かなり堪えました。

生活のために、焼き鳥屋でバイトをしていましたが、時給は安くても、「食事つき」でご飯をいっぱい食べることが出来るのが、何より嬉しいことでした。

学校から帰って、すぐにアルバイト。
夜1時頃にアパートに帰り、それから朝まで課題をこなす・・・そんな毎日でした。

たまに、学校の友達と、渋谷や、新宿に行ったのですが、大分から出てきた自分は、人の多さ・街の大きさに圧倒されました。

実家にいる頃は、竹町の商店街に行くのですら、「人が多くて嫌だな」と思うくらいだったので、その人の多さ、何より、移動の時の電車の人の多さに参りました。

通勤時間帯の電車の人の多さには、本当にうんざりさせられました。
もう、本当に身動き一つ取れないんです。
慣れないうちは、目的の駅に着いても、電車から降りることが出来なかったりしました。

最初の3ヶ月くらいは、「大分に帰りたい」と常に思っていました。

たまたま、同じ大分から上京していた人間がいたので、お互いに励ましあいながら、やってこれたのが、救いでした。
東京にいても、同じ大分弁で話せるというのは、とても、くつろげる時間でした。

今は、神奈川の田舎の方に住んでいて、落ち着いています。
大分の実家があるところよりも、田舎です(笑)山と畑しか無く、周りには、コンビニくらいしかありません。

もう、都内には住めないですね。

今は、仕事の都合で、こちらにいますが、自分は、根っからの田舎者だと思います。
いつか、大分に帰って暮らしたいです。


小学校で熱気球体験教室
  


Posted by 中島出身 at 03:25Comments(0)その他日常

2008年06月25日

熱気球とは?

私は現在、神奈川県にある、熱気球イベント会社に勤めています。

大分県で生まれ、高校卒業まで、大分で暮らしていました。

中島小・碩田中・鶴工に通っていました。

高校を卒業後、アニメーションのスタジオに入るために、上京。現在は、熱気球イベントの仕事をしています。

これから、色々なことを書いていきたいと思いますが、まずは熱気球について、簡単に説明しようと思います。

熱気球は、人類が初めて空を飛んだ乗り物。

「モンゴルフィエ兄弟」の手で、それは成されました。

熱気球は、「暖かい空気は、冷たい空気よりも軽い」という非常に単純な原理で飛んでいます。

球皮(上の風船部分)の中の空気を、バーナーの炎により暖めることにより、浮上します。

現在は、プロパンガスを燃料にした、バーナーの炎により、簡単に球皮の中の空気を暖めることが出来るようになりましたが、熱気球が開発された当初は、焚き火などで、球皮の中の空気を暖めていました。

当時は、焚き火による「熱」ではなく、「煙」に熱気球を浮上させる不思議な力があると考えた人もいたようです。

人類が空を飛ぶ・・・熱気球が初めて飛んだのは、1783年ですが、当時は気球が大流行したそうです。

非常に夢のあることだし、納得できる話ですね。


小学校で熱気球体験教室  


Posted by 中島出身 at 23:02Comments(2)熱気球一般